全財産を失った悲しみは「愛する人の死」と同じ?詐欺被害者の心理と回復のプロセス

見えない心の傷 心理学
詐欺は財布ではなく心を傷つける
心理学被害者学

The Year of Magical Thinking: Fraud, Loss, and Grief(悲しみにある者:詐欺、喪失、そして悲嘆)
Jayne W. Barnard

要約

米国バージニア州・ウィリアム&メアリ大学法科大学院のJayne W. Barnard教授による本論文は、詐欺によって突然財産を失う経験が、愛する家族を突然亡くした際の悲嘆(グリーフ)と極めて似た心理的プロセスを引き起こすことを明らかにしています。バーナード・マドフによる歴史的なポンジ・スキーム事件の被害者たちの手記や裁判での証言を分析した結果、被害者たちは初期の激しいショックと、失ったものがすべて戻ってくるはずだという魔術的思考(Magical Thinking)を経て、やがて現実を受容し回復に向かうことが確認されました。本論文は、経済的損失を単なるお金の喪失ではなくアイデンティティや重要な存在との死別と同等に扱う点で特異性を持ち、弁護士などの専門家や社会に対し、被害者を非難するのではなく、思いやりをもって寄り添う接し方を提言しています。

研究方法

本研究は、バーナード・マドフが引き起こした米国史上最大規模のポンジ・スキーム(投資詐欺)事件の被害者たちを対象とした質的研究です。Barnard氏は、被害者が自ら綴った回顧録やブログ、裁判所に提出された被害者影響陳述書、および法廷での証言記録などを生のテキストとして収集・分析しました。分析にあたっては、配偶者を突然亡くした作家ジョーン・ディディオンの回顧録『The Year of Magical Thinking(悲しみにある者)』に描かれた心理状態や、現代のグリーフ(悲嘆)理論の枠組みが用いられています。被害者が詐欺発覚直後から数ヶ月、数年にわたってどのような感情の揺れ動き(怒り、自己非難、絶望など)を経験し、またどのようにしてお金を全額取り戻せるはずだという非現実的な期待(魔術的思考)を抱き、その後回復へと至るのかを、一般の読者にも分かりやすく、彼ら自身の生々しい言葉を通じて跡付けています。

この研究でわかったこと

この研究により、突然お金を騙し取られた被害者の心理的反応は、配偶者や家族などの愛する人の突然死に直面した人々の悲嘆プロセスと驚くほど一致することが分かりました。私たちは富(財産)に対して、単なる紙幣以上の、自己のアイデンティティや安心感といった深い愛着関係を築いているためです。

初期段階では、被害者は激しいショックを受け、これは何かの間違いだと事態を否定します。その後、加害者や規制当局(警察や行政など)に対する激しい怒りと、なぜ騙されてしまったのかという激しい自己非難の間を、幾度となく揺れ動きます。特に注目すべきは、魔術的思考と呼ばれる認知的な防衛反応です。愛する人を亡くした人が靴を残しておけば彼が帰ってくるかもしれないと無意識に願うように、詐欺被害者も架空の利益を含めたすべてのお金が魔法のように手元に戻ってくるはずだと強く信じ込みます。そして、その非現実的な願いを満たすため、時に政府や全く関係のない機関に対してまで、無謀な訴訟を起こしてしまう傾向が確認されました。

しかし同時に、人間には非常に強い回復力(レジリエンス)が備わっていることも分かっています。一部の被害者が長引く悲嘆(複雑性悲嘆)に苦しむ一方で、多くの被害者は数ヶ月から1年ほど経つと徐々に現実を受け入れ、新しい生活の再建に向けて歩み出し、再び人生に喜びと意味を見出していく力強い姿が示されています。

この論文の社会への貢献

本論文は、詐欺被害に遭った人々への冷たい社会的まなざしを、根本から温かいものへと変える力を持っています。一般的に欲を出して投資した自己責任だと冷淡に見られがちな詐欺被害者ですが、彼らが直面しているのは、自己の存在意義すら揺らぐような深遠な喪失と悲嘆なのです。

この研究は、行政や警察、弁護士、支援者、そして私たち一般市民に対し、被害者を単にお金を失った人として扱うのではなく、愛する人を突然亡くした遺族に接するのと同じように、慎重かつ深い思いやりを持って寄り添うことの重要性を説いています。特に法律の専門家に対しては、被害者の魔術的思考に乗じて実現不可能な訴訟(空虚な希望)を煽るのではなく、彼らが少しずつ現実を受け入れて回復していくプロセスを静かに支え、真の意味で人生を再建するためのサポートをする倫理的責任があると警鐘を鳴らしています。

詐欺被害者が自分が悪かったのだと自らを責め続ける孤独な悪循環から抜け出すためにも、そして私たちが彼らを社会で孤立させないためにも、すべての人々が自分事として知っておくべき心のメカニズムと希望がここに記されています。

用語解説

  • 魔術的思考(Magical Thinking)もともとは発達心理学等で「自分の思考や願いが物理的な現実に直接影響を与えられると信じる幼児特有の思考法」を指しますが、現代のグリーフケアや本論文においては、「悲嘆に暮れる人が、現実の喪失を書き換えたり、一時的に現実から目を背けたりするために抱く非現実的な空想や期待」という意味で使われています。
  • ポンジ・スキーム(Ponzi scheme)投資詐欺の手法の一種。実際には運用を行っていないにもかかわらず、高配当を謳って資金を集め、後から参加した別の投資家のお金を以前の投資家への配当に回す「自転車操業」的な手口のこと。バーナード・マドフの事件は、被害額の大きさから歴史上最大規模のポンジ・スキームと言われています。
  • 複雑性悲嘆 / 遷延性悲嘆障害(Complicated Grief / Prolonged Grief Disorder)大切な人を失った悲しみや喪失感が長期間(一般的に6ヶ月以上)にわたって極度に強く持続し、激しい思慕や現実への適応困難など、日常生活に重大な支障をきたす状態。自然な回復が難しく、専門的な心理的支援や介入が必要とされます。

タイトルThe Year of Magical Thinking: Fraud, Loss, and Grief(悲しみにある者:詐欺、喪失、そして悲嘆)
論文の種類ジャーナル論文(学術雑誌論文)
論文の分野法学、心理学、被害者学
著者Jayne W. Barnard William & Mary Law School教授
論文誌名・発行者Law & Psychology Review (William & Mary Law School Scholarship Repository収録)
発行日・巻数・ページ2014年、38巻, 1-44
原著論文の言語英語
URLhttps://scholarship.law.wm.edu/facpubs/1719
CiteBarnard, J. W. (2014). The Year of Magical Thinking: Fraud, Loss, and Grief. Law & Psychology Review, 38, 1-44. Retrieved from https://scholarship.law.wm.edu/facpubs/1719

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