資金は朝のうちに消えた ―法廷記録が暴く、恋愛詐欺とビジネスメール詐欺の交差点― 

資金は朝のうちに消えた 犯罪学
資金は朝のうちに消えた
犯罪学論文解説

‘Funds Left Delaware in the Morning’: Online Fraud Networks and Money Laundering Operations「資金は朝のうちにデラウェアを去った」——オンライン詐欺ネットワークとマネーロンダリング作戦 
Suleman Lazarus

要約

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)マンハイム犯罪学センターのSuleman Lazarus先生による論文”‘Funds Left Delaware in the Morning’: Online Fraud Networks and Money Laundering Operations”は、アメリカ連邦地裁デラウェア州で争われた「アメリカ合衆国 対 オルグベンガ・ラワル(Olugbenga Lawal)」事件の法廷記録を、犯罪の証拠としてだけでなく文化的な資料として読み解いた研究です。本研究は、法廷証言・証拠物件・捜査官証言を「フォレンジック・エスノグラフィー(法廷記録を用いた民族誌的分析)」という手法で分析し、ロマンス詐欺とビジネスメール詐欺(BEC)がいかに一体の犯罪インフラとして運用され、加害者たちが被害者を「クライアント」と呼び替えることで加害を正当化していたか、そして資金洗浄の仕組みがいかに巧妙でありながら脆弱であったかを明らかにしました。裁判で有罪が確定した実際の裁判記録を丸ごと分析した非常に珍しい研究であり、詐欺研究に新しい視点をもたらしています。

研究方法

この研究が対象としたのは、2019年から2020年にかけて300万ドルを超える資金が、ロマンス詐欺とBEC詐欺によって得られた不正な収益として、インディアナポリス在住のナイジェリア人男性が管理する銀行口座を経由して動かされたという事件です。首謀者とされる人物は「クラシック・バギー(Classic Baggie)」という通称で知られ、検察はこの人物を「国際的な犯罪組織のリーダー」と位置づけました。

多くの被告は司法取引で有罪を認めるため、詳細な法廷証言が公になることは滅多にありません。しかし被告のラワル氏は罪を認めず陪審裁判まで進んだため、通常は非公開のままとなる証言記録や証拠物件が異例なほど豊富に公開の記録として残されました。本研究はこの点に着目し、サイバー犯罪研究の専門家であるゲイリー・ワーナー氏が公開しているブログのアーカイブ資料(裁判記録の抜粋を含む)、および米国司法省の発表資料などをあわせて、合計72ページに及ぶ法廷記録・証言記録を精読しています。

分析手法には、心理学分野で広く使われる「テーマティック分析(Braun & Clarke, 2006)」という質的研究の手法が用いられました。これは、大量の文章データから繰り返し現れる意味のパターン(テーマ)を、研究者が段階を踏んで抽出していく手法です。具体的には、まず記録全体を丁寧に読み込み(familiarisation)、次に「クライアント」「ラブスキャム」「手数料」といった語りの断片に注目してコードをつけ(coding、最初に156個の初期コードが生成され、その後統合されました)、それらのコードを「アイデンティティのモジュール性」「二重様式の詐欺」「感情的インフラ」「国際的な資金洗浄回路」といった、より大きなテーマへと集約していきました。

さらにこの研究は、二つの社会理論を組み合わせた独自の枠組みを採用しています。一つは「アクターネットワーク理論(ANT)」で、これは人間だけでなく、銀行口座やLLC(有限責任会社)、送金アプリ、メールシステムといった「モノ」も、詐欺という現象を共に作り出す主体(アクター)として捉える考え方です。もう一つは「社会ネットワーク理論(SNT)」で、こちらは人と人との信頼関係やつながりのパターンに注目し、対面で会ったことのない加害者同士がいかに国境を越えて協力し合えるかを説明します。この二つの理論を組み合わせることで、詐欺を支える「モノの仕組み」と「人のつながり」の両方を同時に見渡すことができるようになっています。

この研究でわかったこと

(1) 詐欺師の「身元」は使い捨てのように交換される——アイデンティティのモジュール性

法廷証言では、ある証人が複数の偽名(たとえば「マイク・マイアミ」と「マイケル・ハーマン」)がすべて自分自身を指すことを認める場面が記録されています。分析からは、詐欺グループの中で銀行口座の名義や役割が、特定の個人に固定されたものではなく、その時々の必要に応じて柔軟に入れ替え可能な「部品」のように扱われていたことが見えてきました。誰の名前が口座についているかよりも「誰が最も早く確実に送金を実行できるか」が優先される運用がなされており、恋人役・会社役員役・銀行担当者役といった役柄も、状況に応じて自在に入れ替わっていました。著者は、こうした身元の使い方は単なる「変装」ではなく、それ自体が詐欺を継続させるための一種のインフラ(仕組み)であると論じています。

(2) ロマンス詐欺とBEC詐欺は別物ではなく、一体の仕組みとして運用されていた——二重様式の詐欺

これまでの研究では、ロマンス詐欺(恋愛感情を利用する詐欺)とBEC詐欺(取引先や経営者になりすます詐欺)は、別々の犯罪類型として扱われる傾向にありました。しかし本研究が示したのは、同じ資金洗浄のネットワークやマネーミュール(送金の運び屋役)、連絡手段を、両方の詐欺が共有して使い回していたという実態です。ある被害者にはビジネスメールでの取引の形で近づき、別の被害者、あるいは同じ被害者に対しても、より親密なチャットアプリ(WhatsAppなど)を使って恋愛感情に訴えかける、という形で、ビジネスの論理と親密さの論理が同時並行的に、かつ計算されたかたちで使い分けられていたのです。著者はこれを「戦術的二重性(タクティカル・デュアリズム)」と呼び、詐欺師たちが取引への信頼と恋愛への信頼という異なる種類の信頼を、意図的に組み合わせて利用していたことを指摘しています。

(3) 被害者を「クライアント」と呼ぶことで、加害の意識を薄めていた——感情的インフラと言葉の言い換え

法廷証言の中で、加害者たちは被害者のことを一貫して「クライアント」あるいは「パートナーのクライアント」と呼んでいました。これは単なる言葉遣いの癖ではなく、詐欺という行為を「正当なビジネス」であるかのように意味づけ直す、心理的な自己正当化の手法だと著者は分析しています。犯罪心理学ではこうした心理的な仕組みを「モラル・ディスエンゲージメント(道徳的な自己解離)」と呼びますが、被害者を「対等な取引相手」として言い換えることで、加害者は自らの罪悪感を和らげ、詐欺行為を「entrepreneurship(起業家的な活動)」であるかのように語り直していたのです。同様に、愛情や信頼、そして「困っているから助けてほしい」という緊急性の演出も、台本のように繰り返し使われる「感情のスクリプト」として運用され、感情そのものが金銭を引き出すための道具として使われていたことが明らかになっています。

(4) 資金洗浄の仕組みは高度でありながら、驚くほどもろい——国境を越えた資金洗浄回路とネットワークの脆さ

被害者からだまし取った資金は、複数の銀行口座を経由して分散させられ(「レイヤリング」と呼ばれる手法)、その後LLC(有限責任会社)を次々と設立しては使い捨て、あるいは高級車を購入してナイジェリアへ輸送し現地で売却するといった、実物資産への転換によって現地で資金を回収する仕組みが使われていました。こうした手法は伝統的な「プレースメント(資金の投入)・レイヤリング(分散・偽装)・インテグレーション(合法経済への還流)」というマネーロンダリングの古典的モデルに沿いながらも、LLCを長期的な隠れ蓑としてではなく、一回限りの送金のために作っては解散させる「使い捨てのインフラ」として運用するという、独自の工夫が加えられていました。

しかしその一方で、このネットワークは内部からの崩壊にきわめて弱いことも明らかになりました。ハーマンという証人は、最初は現金の運搬を渋っていたものの、「その金は自分が持っていた方が安全だ」という説得を受けて次第に関与を深めていき、最終的には検察側の最も詳細な協力証人になっています。著者はこれを、信頼にもとづく緩やかな仲間関係こそがネットワークの拡大を可能にした一方で、その同じ信頼関係が、捜査の圧力がかかったときには容易に裏切りへと転じる「もろさ」の源泉にもなっていたと指摘しています。つまり、国境を越えて広がる高度な仕組みであるにもかかわらず、その存続は最終的には人と人との間の脆い信頼にかかっていたのです。

この論文の社会への貢献

本論文が持つ意義は、単に一つの事件を詳しく紹介したという点にとどまりません。

まず捜査機関や規制当局にとっては、ロマンス詐欺とBEC詐欺を別々の犯罪類型として捜査・分析するのではなく、同一の資金洗浄インフラや連絡手段を共有する「一体の現象」として捉え直す必要性を示している点が重要です。著者は、使い捨てのLLCの設立・解散をリアルタイムで検知する仕組みや、国境を越えた企業登記情報の共有、金融機関同士のKYC(本人確認)手続きの連携強化など、具体的な政策的対応を提言しています。

次に、被害者支援に携わる方々やカウンセラー、医療関係者にとっては、加害者が被害者を「クライアント」と言い換えることで自らの罪悪感を和らげていたという知見は、被害者側からすればなおさら「自分は対等な取引相手として扱われていた」という混乱や自責の念を抱きやすい構造があることを示唆します。本論文は、恋愛感情や緊急性の演出が加害者側によって周到に「台本化」されたものであることを明らかにしており、被害に遭われた方に対して「だまされたのはあなたの落ち度ではない」というメッセージを、より具体的な根拠とともに伝える助けになるはずです。

さらに、金融機関のコンプライアンス部門にとっては、取引の異常値だけでなく、やり取りの「物語としての整合性」に着目する必要性が示されています。感情的な操作の兆候と、不自然な送金パターンを結びつけて分析する学際的なチームの必要性は、実務にも直結する示唆といえるでしょう。

最後に、本論文は西アフリカ系ディアスポラのコミュニティを一方的に断罪するのではなく、こうした犯罪が植民地支配の歴史や世界的な経済格差という、より大きな構造的背景の中に位置づけられていることにも目を向けています。行政、警察、支援者、そして一般市民の一人ひとりが、この問題を「遠い国の特殊な犯罪」としてではなく、自分たちの社会にも根を張るグローバルな課題として捉え直すきっかけになる論文だと言えるでしょう。


用語解説

フォレンジック・エスノグラフィー(forensic ethnography) 「フォレンジック」は法医学・法廷科学的な検証を意味し、「エスノグラフィー」は人々の生活や文化を丹念に観察して記述する民族誌的な研究手法を指します。両者を組み合わせたこの言葉は、裁判記録や法廷証言を単なる法的証拠としてだけでなく、人々の価値観や行動様式が刻み込まれた文化的な資料として読み解く研究アプローチを意味します。

BEC(ビジネスメール詐欺、Business Email Compromise) 取引先の担当者や自社の経営者になりすましたメールを送りつけ、偽の口座への送金を指示することで金銭をだまし取る詐欺の手口です。

マネーミュール(money mule) 詐欺で得られた不正な資金を、自分名義の口座を使って移動・出金する役割を担う人物のことです。本人が詐欺に気づかず利用されている場合と、承知のうえで関与している場合の両方があります。

テーマティック分析(thematic analysis) インタビューや文章などの質的データの中から、繰り返し現れる意味のまとまり(テーマ)を、研究者が段階的な手続きを踏んで見つけ出していく分析手法です。心理学や社会学の質的研究で広く使われています。

アクターネットワーク理論(Actor-Network Theory, ANT) 人間だけでなく、道具やシステム、書類といった「モノ」も、社会的な出来事を共につくり出す主体(アクター)として捉える理論的視座です。

社会ネットワーク理論(Social Network Theory, SNT) 人と人とのつながり方やその構造的なパターン(強いつながり・弱いつながりなど)に注目し、情報や協力関係がどのように広がっていくかを説明する理論です。

モラル・ディスエンゲージメント(moral disengagement、道徳的な自己解離) 心理学者アルバート・バンデューラが提唱した概念で、人が非倫理的な行為を行う際に、その行為を正当化したり、被害の実態を軽く見たりすることで、自らの道徳的な罪悪感を和らげる心理的なプロセスを指します。

レイヤリング(layering) マネーロンダリングの過程の一つで、不正な資金の出所をわかりにくくするために、複数の口座や取引を経由させて資金の流れを複雑化させる手法です。

LLC(有限責任会社、Limited Liability Company) アメリカの会社形態の一つで、出資者が会社の債務について有限の責任のみを負う法人形態です。設立手続きが比較的簡便であることから、本論文の事件では資金洗浄のための「使い捨て」の器として悪用されていました。


タイトル‘Funds Left Delaware in the Morning’: Online Fraud Networks and Money Laundering Operations「資金は朝のうちにデラウェアを去った」——オンライン詐欺ネットワークとマネーロンダリング作戦
論文の種類学術ジャーナル掲載論文(Original Article)
論文の分野犯罪学、サイバー犯罪研究、法社会学
著者Suleman Lazarus(スレイマン・ラザルス)先生。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)マンハイム犯罪学センター/西ケープ大学(南アフリカ)社会学部/サリー大学(英国)社会学部
論文誌名・発行者International Criminal Justice Review(Sage社)
発行日・巻数・ページ2026年、1–32ページ
原著論文の言語英語
URLhttps://journals.sagepub.com/doi/10.1177/10575677261416902
CiteLazarus, S. (2026). ‘Funds Left Delaware in the Morning’: Online fraud networks and money laundering operations. International Criminal Justice Review, 1–32. https://doi.org/10.1177/10575677261416902

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